プロフィール
Happy Create Inc.
代表 田中靖和
運動禁止!スイーツ狂 満腹ダイエット 開発者
インターネット・ビジネス&資産運用コンサルタント
【代表紹介】
誕生日:1964年8月12日 しし座
出身地: 東京都台東区浅草
今までの人生概略:
小さい頃、喘息の発作で、たびたび呼吸困難に陥り、
日本語がわからない頃から、「死」という概念を、感じて育つ。
(父に何度も、病院に担ぎ込まれた、と聞いたのは、成人してからだった。)
そんな中、発作が起きないときの楽しみは、
大宮操車場(現・埼玉新都心)のSL(蒸気機関車)を見ることだった。
「大きくなったら、SLの運転手になりたい」 と思いながら、
鉄道ファンとして育つが、 1975年に、国鉄(現・JR)のSL がなくなり、
進学塾に通いだしたのを機に、単に大学を目指す学生になってしまった。
しかし、1983年、自動車免許を取ったのをきっかけに、
自分で運転することの楽しさに目覚める。
大学が山奥にあったので、バイクで移動できれば、と 翌1984年、
中型自動二輪免許を取り、バイクにも乗り出す。
小学校に入る前から、肥満児のままだったこともあり、
当時、体重3桁にもなっていて、
「バイクの上に、バイクよりも重いヤツが乗っている」
「バイクがかわいそうだ・・」
とたびたび言われ、 DIET にも励むが、幾度となく、
リバウンドを経験。
友人のハーレーに乗っている方が、格好がつくので、
1993年、ついに限定解除。
自身のバイクも、250cc バイクから、1300cc にサイズアップを果たした。
大きくしたら、駐車に困るようになったので、ゲタ代わりに、250ccスクーターを やっぱり買い増ししたのは、ご愛嬌(笑)
その後、1994年、普通2種免許
1995年、大型2種免許と、
血液型はA型にも関わらず(?)
バイクも車も、免許の大型化を達成。
いつもニコニコ・スピーディーな安全運転を心がけている。
2000年1月25日、父が脳梗塞に倒れ、以後、父の店、勤め人、介護と、目まぐるしい日々を過ごすことになり、介護の問題も 同時並行でこなす人生を余儀なくされた。
さらには、2009年2月26日の 父の再入院を機に、
医療制度の矛盾、問題点をヒシヒシと実感。
1990年元旦に目覚め、以来、常々 意識していた 海外移住の発想に、再び火がつき、2011年 父の介護のために、フィリピン移住計画を実行に移す。
おりしも フィリピンの永住権ビザ SRRVが 2011年5月、制度変更。
スマイルプログラムができ、その初期取得者にもなった。が
苦節21年、と喜ぶ間もなく、フィリピンの家に、介護ベッドを購入して1ヶ月余、2012年2月23日。父が他界。
その後、フィリピンの家の管理会社も破綻。
移住計画を断念し、永住権ビザもキャンセルと、
波乱万丈の人生を余儀なくされている。
しかし 「転んでもタダでは起きない」性格、
今後も、「失敗を教訓に、人生の糧に」の精神で、
「好きなときに、好きなところで、好きなことをできる人生を、実現すること」を目指し、活動中。
東京に住み続けながらも、心はハワイアンな季節移住者 として、
「明るく、楽しい PT人生のススメ」を引き続き、啓発中。
楽しいこと、喜びと幸せを、わかちあう仲間の輪が広がること、
私とご縁のあった方々と、共に豊かな人生を送ることを、
ライフワークとしている。
【カラダの健康~40からDIET】
免許の大型化と裏腹に、体格の方は、
3度のリバウンドを乗り越えて、
120 kg → 80 kg と、40kg ものダイエットに成功。
健康診断の結果も、30代の頃は、項目の半分くらいに 警告マークがついていたのが、
40代になってから、コレステロール値が微妙に高いのを除いて、ほぼ正常値になった。
(16歳当時の体重になり、成人後、最軽量を更新中)
相変わらず、ケーキ大好き、和洋問わず、甘いもの好きです。
30代前半までは、食後に
「普通のケーキなら、年齢の数だけ食える」という、狂気のレベルでしたが、
ようやく普通サイズのケーキ10個で満足できるレベルまで、
加減が効くようになった。
人生も甘いのが好きな、甘党。(笑)
40歳を過ぎても、甘党でも、運動無し DIETはできる!
その実践を通して、今後は、アンチエイジング健康DIETの啓発にも乗り出す。
運動禁止! スイーツ狂 満腹DIET